山と田んぼと太陽と

田舎暮らしもあっという間に3度目の冬☆はてな?とびっくり!ときどきジーン(涙…な日々。さすけねぇ、笑ってくなんしょ♫

重なり合う存在感の奇跡

そこにはカタマリが在りました。

 

そのカタマリは果てしなく大きくて深くて静かで暖かくて優しくて強くて何もかもすべてを内包していて

煌めくように揺らめいて静かに強く轟くように振動していて

確固たる意志を持ってそこに在りました。

 

なんという存在感。

 

私にはこれを的確に表現する言葉がありません。

ただ、その時にふと浮かんできたのは

「きっと、銀河は宇宙はこんな風に存在しているに違いない」

という思いでした。

 

 

しかも。

そのカタマリがふたつ、8畳くらいの空間にテーブルを挟んでそこに在ったのです。

穏やかにゆらめいて重なり合う濃密な存在感。

天井と壁と畳と襖で囲まれたその空間は、そのふたつの存在感で静かに静かに確かに満たされていきました。

 

私の脳は「目」という器官を通じて部屋にあるテーブルやコップ、料理などのいろいろなものは認識していました。

けれど、それらの存在はうつろで儚く距離感すらあいまいで、どうしてもここに実体が在るあるようには見えなくなっていました。

 

そして。

今度はそれぞれのカタマリが、通常は「声」といわれる波で空間を震わせてやりとりを交わし始めたのです。

その「声」といわれる波は、私の「耳」という器官を通じて脳が認識するよりも遥かに早くそして深く、「耳」以外のそれこそ私の存在のすべてに響き渡ってきたのです。

 その響きが深いところまで届くと、今度はゆっくりと微かですが私は自分の内側から振動が生まれてくるのを感じていました。

 

しかも。

そのそれぞれの「声」といわれる波はお互いに呼応し、共鳴して新しい波を生みだしていました。

感覚をひろげるとその空間に、その場に在る二つの存在が共有しているもうひとつの新しいカタマリが在ったのです。

そしてそれぞれはそのまま変わることなく、3つめの世界がそこに重なり合って存在していたのです。

 

あまりの展開に私の脳は機能することを放棄し始めていました。

 

 

奇跡とはこういうことなんだろうと、働かない脳でぼんやり考えていました。

見たことのない光景。

聞いたことのない響き。

感じたことのない深い広がり。

けれども、穏やかで安堵に似た心地よく柔らかい空間。

 

そんなところに臨場できている恩寵。

 

銀河と銀河とが

仏陀仏陀

富山で白エビの天ぷらを食べながら談笑している…どエライ奇跡。

はたして、私は目撃してしまってよかったんだろうかという愚かな不安にさいなまれてみたり

せめて、このことを書き残そうと必死に言葉を選ぶけれど、やればやるほど嘘くさくなる悲哀に押しつぶされそうになってみたり

けれど、起きていることは間違いなく言葉を脳をはるかに超えた向こう側の出来事なのでした。

 

 

その時は「打ち上げ」という会でしたので、

そのふたつ以外にもいくつかのカタマリが同じ空間に在りました。

すべてのカタマリが幾重にも幾重にも重なり合って途方もない密度になっていき、

ダイレクトに伝わってくる情報の多さに圧倒されるばかりでしたので

ただ、そこに在ってその空間に浸っていることだけで精一杯でした。

 

 

圧倒されるけれど苦しいわけではありません。

むしろ全く逆で、緩やかに不必要なチカラが抜けて

普段は使っていないすべての器官が目をさますような

細胞のひとつひとつの存在を喜ぶような

命とはこういうものだと祝福されているような

奥の奥のずーっと奥から軽やかに揺さぶられている、そんな感じです。

 

 

 

奇跡とは「突発的に出会うもの」ではなくて

『いつもそこに在る』ということなのだとわかりました。

 

 

見逃してはならないのです。

全身全霊で受け取らなければならないのです。

 

 

その受信装置の感度を上げるために坐るのです。

ほんとうはなにが起こっているかを知るために。

 


違うな。

自分が銀河であることを正しく知覚するために坐るんだ。



なにごとも。


 

ただ、ひたすらに。

 

 

 

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臨場を許された、この奇跡に感謝しながら。